こんにちは、よよかんです。
今日は夫から聞かれた言葉を考えていました。
「株式って結局、何か社会に対しての貢献してるの?」
夫は投資に対して否定的なタイプです。
何故かといえば、世の中で株式の位置づけが分からないからだそうです。世間で言われていることを自分なりに考えてもピンとこない。
株式そのものは人が便利に物を生み出すわけでも、笑顔にするサービスである訳でもないよね、とのこと。
うーん、確かに。
株式ってなんなんだろう?
私も自分なりに考えてみましたが、結果としてはぼんやりです。
まあでも私なりには「こういったもの」とは結論がでたかな。
株式って、考えてみたけど↓のようなものだと思うんです。
会社を作る際にはお金が必要。
その資金調達に会社が売るものが株式。
→社債と違うのは、お金を返す必要がないこと。
結局、企業にとっては返さなくて良いお金で出来た証券が株式。
社債より調達しやすい後腐れの少ないお金という気がしました。
社会への貢献は、企業がお金を調達したことで終わってる気がします。
株券には利益(配当)を分けてもらう特典がついている。
で、それを売買してる。
企業が大きくなれば分けてもらう利益が増えるかもしれないから、株券の金額が上下する。それが株式なのかなと思いました。
社会的に絶対必要かというとどうなんだろうとも思います。
けれど、出資したお金の使い方を監視する、無意味なゾンビ企業が増えたりお金を集めても困るという意味では必要かもしれない。
業績が悪い企業は、価値が無いといって株価が下がる。
もし、株式という監視機能がなければ信用がなくなり資金自体が集まりにくい気がします。社債だけでも良いのかもしれないけど、株式という簡単に資金を調達できる機能があるからこそここまで社会が発展したのかも。
結局、無くても良い。
でも便利。
くらいなのかも。
配当をもらう特典がついているからお金を出して株券を買うんですが、良く考えてみると、企業は配当を出してもださなくても良いわけです。
実際、配当無しの企業もあります。
配当が無くても、業績が良くなると株価は上がる。
これって良く考えると不思議だなあと思います。
買ってご飯が食べられる訳でも、住む権利が得られる訳でもない。
配当がいつか出るかどうかも分からない。
”業績が良いから良い会社だ。いつか配当がでるかも”という雰囲気だけで、株価が上下する。幻みたいなものに、需要と供給が生まれることで「価値」が生まれているのだと思うと面白い現象だなあと思います。
結論としては「あったら便利だけど無くても良いかもしれない」に落ち着きました。
まあ、考えて株式をやめるとかそういうのではないんですけど。
でも「幻の価値」であることは自覚しておきたいなと思います。
今までぼんやり書かれていることを丸のみで分かった風になっていたのですが、自分なりに考えてみると意外とぼんやりしていてビックリしました。
自分で考えてみるのはとても面白かったです。
株式も調整で上げ調子でもないし、空いた時間に良い機会ですね。